字書きの部屋  目次 



白の愛
香りぬすびと


 窓の外には、燦々と太陽の光があふれている。
 いつだって天気の良い飛空都市だけれど、日の曜日はやはり格別だ。
 こんな日は屋根のあるところにいるよりも、青い空の下で過ごすのがいちばんだと思う。
 なのに何故だか薄暗い炎の館の椅子になど座らされている。
 不本意だ。  
 ランディは、顔にでかでかとそう書いて、それでも開いた脚の上に握ったこぶしをきちりと置いて大人しく……表面だけは大人しく座っていた。  
 じっとしているのは性にあわない。  
 そんなランディの様子を、この館のあるじである炎の守護聖は。実におもしろそうにみている。  
 それがまた気に食わない。
「にやにや笑ってみてないで、さっさと用件を済ませてください。」
「おまえのために、時間を割いてやっているのに、随分な云いようだな。」
「頼んだ憶えはありませんよ。」
「傍でみていて、そんな気にさせるのが悪い。」
「そりゃ、俺が悪いってことですか?」
「兄貴分としちゃあ、危なっかしくてみてられないぜ。」  
 そのことばに、ぐ、と詰まったランディに、兄貴だなんて思ってもいないが、弱いことばは知っている……とオスカーは、にやりと笑った。
「ほら、眼ぇつぶったつぶった。」
「なんで眼……。」
「その方がやりやすいんだよ。そうやって駄々こねてちゃあ、いつまでたっても終わらないぜ?」
「駄々ってね……ただ俺は、どうしてかと訊いただけじゃありませんか。」
「さっき答えたろ。」
「答えになっていません。」
「やりゃあわかるから、さっさと眼、閉じろ。」  
 もともと迫力のある炎の守護聖が、その気になってほらほら、とことばでも態度でも攻めてくるのに逆らえる輩は、そうはいない。
 ランディとて例外ではなく、強引に押し切られて、彼としては最大級にむっとした顔のまま、不承不承眼を閉じた。  

 ……落ちつかない。  

 どうしてこんなことになってしまったのだろう、とランディはちいさく息をついた。
 そもそもの発端は、すれ違った女王候補たちの、別れ際の残り香に振り返った、ただそれだけのことであるのに。  
『香水のえらび方を教えてやる』
 などという大層な名目で、何故だかこんなはめに陥っている。
 かちゃかちゃという硝子……たぶんオスカー所蔵の香水壜のものだろう……の触れあう音がする。
 大体なんだってオスカーは香水など所持しているのだろうか。
 それも音から推察するに、かなりたくさん、だ。
 半ば呆れながらも、訊けばまた一言のもとに「たしなみだ」と片づけられてしまうこと明白なので、あえて口には出さない。
 そりゃあ、俺だとて、男性用のものを持っているというのなら納得もするけれど、女性用のそれを所持することがどうして〈たしなみ〉になるのか、はなはだ不可解だ、とランディは嘆息した。
 そんな思考をめぐらせているあいだに、オスカーの足音が、硝子の音をともなってこちらへと近づいてくる。
 眼を閉じていると、普段より音が大きく鋭く感じられて、ランディは眉を顰めた。
 ゆるやかに空気をかき廻している――動いているオスカーのしぐささえも、膚に直接伝わってきて……落ちつかない。
 ばちっと開けてしまいたい衝動とたたかいながら、ランディは、ただ待った。
 ふとランディは、もしかしてこれも試されているのだろうか、と思う。
 そう、例えば、〈耐える〉ということに対して。
 本来の目的が違うところにあるのはわかっていたが、オスカーは良く真意を裏に隠すので、油断は禁物だ。
 何故隠すのか良くわからない時も多いけれど、真実大事なことはじぶんでみつけろ、って人だからな……とランディは、す、と深呼吸をした。
(俺はまだ行ったことはないけれど、実際、いざ闘いに赴いたら、こうした緊張のなかで待っていなくちゃならないことなんか、ざらだろうしな。)
「じゃあ、これからだ。」  
 オスカーの声が、ごく間近で響いてランディのからだは一瞬びくりとなった。
 思ったより近い。
「これから……って、俺は何をすれば良いんです。」
(距離感を掴むのが難しいな。)  
 眼を閉じたランディが、しごく真面目にそんなことを考えているなど、知る由もなく、オスカーは彼を座らせた椅子と、自身の間に置いた、色とりどりの華奢な硝子壜がずらりと並べられた小卓の上に身をかがめ、そのなかのひとつをえらび取りながら説明をする。
「俺が開けた香水の香りを、ただ、〈いい匂い〉だけでなく、どんな感じがするのか云ってみろ。」
「……はあ。」  
 ランディはそう応えるしかなく、ふたたび待った。  
 きゅるきゅると硝子が廻って擦れる音。
 栓を抜いているのだろう……すこし膚が粟立つ。
 この手の音はやり過ごすしかない。
 些細な音に反応しては、動きたくて仕様の無いからだを、ランディは、無理矢理押さえつけた。
「五感をひとつ閉ざすと、他の感覚がいやでも研ぎ澄まされるだろう。いちばんお手軽なのが視覚ってわけだ。」  
 〈鋭くなる〉のを、身を持って体験していたランディは、そのオスカーのことばに、なるほどな、と納得をする。
 眼を閉じる理由がわかったところで、落ちつかないことに変わりはなかったけれども。  
 擦れる音から、ぽんという新たな音がようやっと抜けだして、ふわりと甘くまるい空気が、ランディを包みこんだ。
「さあ、どう感じる?」  
 ランディは思ったままを口にする。
「……甘い。」  
 おいおい……とオスカーが呆れたように息をつく。  
 ランディはそのため息に、仕様のないぼうやだな……というオスカーの顔を即座に思い浮かべて、眉間にぐっと力を入れた。
「おまえ、どんな女の子といても、おなじことを云っているんじゃないだろうな。そんなんじゃあ、そのうち平手が飛んでくるぞ。」  
 ランディは片眉をぴくりと上げる。
 平手はともかく、云っていることはあながち外れでもないらしい、というふうにオスカーは、くつくつと声を押し殺して笑っている……ようだ。
 その空気に、すぐさま反撃の言葉がランディの口をつく。
 眼には眼を。
 この炎の守護聖から学んだ戦法だ。
「飛ばされたんですか。」
「莫迦。この俺が、そんな不様な真似を晒すわけがないだろう。」
「一度くらいはありそうだと思いますけど。」  
 切り返す。
「この手のことでそれはないな。」
「なら、違うことではあるんですね。」  
 またすぐ返し刃。
「……生意気云いやがると、もう教えてやらないぜ。」  
 崩壊した論理で逃げられ、かわされる。
「ですから、俺は頼んでいませんてば。」  
 かわされたとわかってはいても、つい噛みついてしまう。
 これだから、この人は始末がわるい。
「だが、女の子がどんな香りをまとっていようが、おなじことを云うんだろう。」
「……。」  
 弱いところを、容赦なく一突き。
 やはり、始末がわるい。
「平手は飛んでこないかもしれないが、おまえと出かける女の子は、がっかりするだろうな。どんなにドレスや場所に合わせて香りをえらんでも、〈甘い〉だけじゃなあ。」
 またもや、ぐ……となる風の守護聖に、なまじこの手のことには疎いと、じぶんでも思っていやがるから、おもしろいくらい嵌ってくれる……と炎の守護聖は、人のわるい笑みを浮かべた。
「はい、わかったらどう感じるのか云ってみなさい。」  
 つい、とのびてきた手にあごをすくい上げられて、ランディはわずかにからだを退いた。
 空気が動いたので、何か来るのはわかっていたのだが、突然触れられると、自然にびくりとしてしまう。
「……なんですか、その口調は。気持ちわるい。」
「逆らうと赤をつけるぞ。さっさと云う。」
「石鹸。」
「……間違っては、いないんだが………なら、これは?」
「果物。」
「……果物にもたくさん種類があるんだがな……。」
「んー……レモンとかオレンジとかそういった類いです。」
「とか、ね……じゃあこれは?」
「花。」
「……。」
「……なんですか、俺は云われたとおり感じたことをそのまま口にしているだけで、そんなふうに呆れられるすじあいはありません!」
「……そりゃ、そうだ、な……」  
 そのまま……それが問題なんだがな、とにが笑いをしたらしい雰囲気がランディに伝わってくる。
 そして、ふむ、としばらく考えているような間を置いたあと、オスカーは、口を開いた。
「なら、おまえのことばで云ってみろ。」
「俺のことば?」
「こういう女の子みたい、とか。」
 いま、絶対にこの人、あのにやにやとした余裕の顔で、俺のことをみおろしているに違いない……とランディは、くちびるを噛んだ。
 歯には歯を、でまた切りかえす。
「……なんだか、すごくいやらしく聞こえるんですけど。」  
 貴方が云うと特に、とランディは、ぼそりとつけたした。
 即座に莫迦、と返ってくるかと思いきや、オスカーは意外にも不思議そうに問うてきた。
「べつに、いやらしくなんかないぜ? 実際女性にものを贈る時、」
 ふわ……と甘い香りよりも柔らかく、空気がぬるんだ。
 その空気の感触にランディは、あ、と顰めた顔をゆるめる。
 きっと、いまは、酷く優しい、愛しげな笑みを浮かべた顔を、この人はしている……そんな空気の温度。
 
 とても好きなあの表情。
 俺の好きな空気。

「どういったのが似合うだろうかと、その女性のことを思い浮かべるだろう。それとおなじさ。具体的な対象がここにいないというだけで、自然なことじゃないか。」  
 ほんとうに、この人にはかなわない。
 口惜しいけれど、ほんとうに。  
 ぽん、と頭に手が置かれる。
 一瞬、またびくりと動いたランディに頓着せず、そのままぐしゃぐしゃとまさぐる手。
 それもひどく暖かい。……心地好い。  
 オスカーが頭や髪に触れてくるのは機嫌の良いときであり、またすくなからず、親しみを込めた愛情表現でもあることを、ランディは知っている。
 だから、いつも暖かさを感じてはいたけれど、いまはさらにじわりとしたものが伝わってきた。
 ことばにしてみれば、そう……〈愛しさ〉に、直接触れられているようだ。
 ランディは、オスカーのその広がった感情に、くるまれているかのような感覚をおぼえる。

 視界があきらかなときには、〈暖かい〉としか思わなかったそれは、大きく深く、広げられた毛布のようで、ランディをまるごと抱きしめるようなものだったのだ…… 

 普段、たくさんの壁を立てているオスカーの、表情や建前に惑わされることなく、じかに伝わってきたそれに、ランディの心は、形容のしがたい衝動をともなって、動いた。  
 すべてを無防備に曝けだしているようでひどく落ちつかない……特にいまは、相手が開けたままなのだからなおさらだ……眼をつぶる、という行為は、逆に言えば眼にはみえない大切なことを感じとれる、そういうこと。
(ああ――だから、キスする時って眼を閉じるんだな。)  
 よけいなものを視野に入れないで、ただそのひとの心ひとつを感じる。
 信じる。
 無防備に曝けだしあっても良い相手の前でだけ、眸を閉じて恋人たちはくちづけをかわすのだ。
(そうか……。)  
 ランディは、不思議に納得をしてかるくうなづく。  
 そんな彼を他所にオスカーは、また次の壜を開けたらしく、ふわりと、ランディの鼻さきを新しい香りがかすめた。
 いままでより甘ったるくなくて、どこか知っているような気がするそれ。
 どこで感じた香りだったか……とランディは記憶をたどった。
(あ。)
「オスカー様。」
 疑問でなく、呼びかけでもなくランディは、ただすとんとオスカーの名前を口にした。
 対して、ゆるくみじろいだような空気といらえが返ってくる。
「ん」  
 また思ったよりも近くで声がするな、とランディは距離感距離感……と頭で測りつつ言った。
「これ、オスカー様の匂いでしょう。」
「どうして、そう思う……?」  
 オスカーとの間には、たぶん三歩程度の距離があるはずなのに、ささやくような声はやけに良く訊こえる。
 そういえば、ささやき声は良く響くから、あまり戦場で話してはいけないと訊いたな……とランディは頭の片隅で考えた。
「どうしてって……どうしても。普段から香水なんてつけてたんですか? 俺、いままでの甘い香りよりこっちの方が断然良いな。うん、好きです。」  
 わずかな沈黙が落ちる。
 良くわからない何かを含んだそれに、どうしたのだろうとランディが口をひらきかけたとき、ぽつりとオスカーが応えた。
「……自前だ。」
「自前?」
「眼……開けてみろ。」
「……。」  
 ぱっとひらいて、おどろいた。
 眼の前にオスカーの顔がある。
「あれ? 俺の勘では三歩くらい離れていると思ったのに。」  
 のばされる手と、声の響きから測った距離に、間違いはないと思ったのだけどな、とランディは頭に手をやった。
「……離れてたぜ、さっきまでは。」


 先刻までは香水壜(びん)を並べた小卓を挟んだ向こうにいた。
 そう、ちょうど大股で歩いて三歩くらい。  
 ずっとむっつりとした顔で座っていたランディが……もちろんそれもおもしろくみていたのだが……頭に手を置くとしばらく、ゆるゆると何かが溶けたような柔らかな表情になったりするから、気づいたら三歩、近づいてしまっていた。
 ひとり考えこんではうなづいている彼の顔を、しげしげとみてしまった。
 ランディからは、じぶんの顔をみられることはないから、中腰になって、ひどく無防備に覗きこんだ。
 すこしも女性的でない、その容貌を眼でたどった。
 額や、眉、まぶた、それからすっと鼻筋を通して、くちびる……。
 そんなとき、ふいに名を呼ばれた。
 好きだと言われた。
 香りのことだとわかってはいても、栓の抜かれていたオスカーの心に、それはやけに響いた。
 だからそのまま、静かに顔を寄せた。
 自身は眼をひらいたまま、閉じた彼にくちづける。
 おどろいた……ような空気が、触れたそこから伝わってくる。
 かまわず、さらに深くを貪ると、近すぎてぶれている視界へ、ふいにあらわれた青が揺れた。
 なぞるようにゆっくりとたどって顔を離すと、その青――ひらかれたランディの眸が、オスカーを睨みすえていた。


「……ずるい。」
「ずるい?」
「俺、さっき眼を閉じているのって無防備でいやだなあってずっと思っていて、だけど心を許した相手にはそれでも構わないから、だからキスは眼を閉じてするんだと思ったのに、貴方だけ開けたままでするなんて、ずるい。」  
 持ち前の武器である、反論しようのない正論で、ランディはオスカーを攻めたてる。
「眼、閉じてください。」  
 いまの俺の瞳は閃光のようにちがいない、とランディは思う。
 胸からも、怒りにも似た感情が、ぐらぐらと音をたてているのが訊こえる。
 そのくらい、ずるい、と思った。
「俺だけ心を赦しているなんて、厭です。」  
 断じて厭です、とランディは、きっぱりと繰り返す。
「閉じれば……良いのか。」  
 一向に眼は閉じようとせず、幽かにぼんやりとした声音で、そう返してくるオスカーに、ランディは焦れた。
 焦れてオスカーの顔に手をのばし、左眼を右手のひら、右眼を左手のひらで、有無をいわさず目隠しのように塞ぐ。
「ランデ……」  
 抗議だか、おどろきだかの声があがるのなど無視をして、髪が絡みあうほどちかくに顔を寄せた。
「ん。」  
 あがった、ちゅっという音。  
 実力行使である。  
 そのまま、ランディはまた、オスカーにキスをする。
 伝えられたものが、伝わるように。
 あのあたたかさで、オスカーのすべてを抱きしめられるように。
 オスカーのくちびるに、じぶんのそれをいく度か落としつつ、ランディは、ほら……とほほえみながらささやいた。
「眼を閉じていると、俺の心も……あなたの心もすごく感じられて、ずっと気持ち好いでしょう?」  
 香水とおなじで、とランディは笑い、ひとり開けているよりずっと、とつけくわえて、オスカーの顔から、くちびると手を、ゆっくりと離した。
「オスカー様が教えてくださったんですよ。」  
 ランディは、瞬きもせずこちらをみているオスカーと、避けようもないまっすぐさで眸をあわせ、にっこりと笑った。
「……。」  
 オスカーは、ことばでは、何も応ええはしなかった。
 けれど、また顔を寄せれば、無言のまま鋭い双眸が、ゆっくりと、たしかに閉じられる。
 閉じた眸と、開いた心に、ランディは頬をゆるめ、ふわりとやわらかに笑った。
「俺、どんな香水より、貴方の匂い(こと)が好きですよ。」  
 そうささやいて、ランディも眼を閉じる。
 
 心ふたつを感じて、キスをしあえば、青い空の下でなくても気分は最高になった。
 

−了−


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