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背中
裸の背中がすっと隠される前の一瞬。
ふわ、と空気を孕んで羽織られる、まっしろなシャツが眼前でゆるやかに舞ってすぐ、くっと前を正して釦(ボタン)を嵌めはじめる前の、まだゆるんだ襟あしから、くっきりとした貝殻骨をのせた広い背中が覗く、ほんのコンマ何秒ほどのわずかなすき間。
この、ごくごく微少な間隙が、とてつもない誘惑だと口にしたら、貴方はどんな貌をするだろう。
そのまま、ゆび先を引っかけて、一度は覆われた膚の上にまっさらな白布を逆廻しにするりとすべらせて、なに、と何もわかっていない怪訝げな顔が、袖だけは通したまま振りかえるよりも早く、半端に露わに剥いで、晒された背中の真ん中を走る骨の途を、つい、とまだ抱かれた熱の残るゆびで辿ったら、貴方はどんな声をあげるだろうか。
『おまえは欲がないからな。』
いつも、そうやって勝手な線を引く、貴方。
線によって退いているのは貴方のほうだろう、とつよく思う。
『ふらりと何処へ飛んで行っちまうかわからない。』
ふ、と翳のある微笑いを口もとに滲ませて、そんなことを、云う。
その背中に痕をつけてやりたい。
陽の光のもとで、はるか前を進む貴方の背中に、男として惹きつけられた。
夜の狭間で、傍近くありながら手の届かない貴方の背中に、おなじ男として惹きつけられる。
別段可笑しなことじゃない。
矛盾している、という声がきこえそうで、けれど、貴方ほどではないと、思う。
ありふれた恋愛ざたを好まないくせに、誰が決めたかもわからない常識から逸脱したくない貴方。
貴方の背にこそ、気ままなエゴイストの翼が生えている。
「……肩胛骨(かいがらぼね)って、翼の生えていたあとなんですってね。」
ぎぃ、と扉のきしむ音。
きちりと閉じるのももどかしく、もつれあうようにそのまま倒れこんだ木樵小屋の床には、転々と、口をきく間も惜しんでキスを交わしながら脱がせあった着衣が、夜目にぼぉと幽霊の足跡のように浮かびあがっている。
からだを重ね、抱きあった熱さの色も濃く残る空気に、息もできないような気がする、と思いながらも、知って
ました? とうつぶせになったまま、まだあまり廻らない口で、問う。
おいおい……と貴方は、立てた片肘の上に、やや乱れた紅(あか)の髪を、夜闇に名のごとく炎のように輝かせて、ゆるく苦笑した。
「その伝でいったらすべての人間が天使の末裔になるじゃあないか。」
天使――アンジェリークはこの宇宙にひとりきりだ、と眼を細めて、云う。
「末裔なんじゃなくって――、」
その横顔をみあげながら、ことばをつづけた。
「人間そのものが、堕ちた天使――イブリースなんですよ。
誰ひとり例外はない。」
そこから進化を遂げたもののみが宇宙を抱く翼を手に入れられるんだそうです――と、一旦しめくくる。
「……ますますきな臭い話しだな。」
わずかに剣呑な光をひらめかせてみおろしてくるアイスブルウに、そうですか? とくすり、と笑い、まだつづきがあるんですよ、と云いながら、ようやっと緩慢さの取れてきた身を起こして、向かいあう。
「すべての人間――堕ちた天使はその背中に翼のあとである肩胛骨を持っているけれど、天使だった記憶はない。
だけど、カンの鋭い人間はその出自を本能的に感じとって、他人に背中を露わにすることを好まないんだそうです。」
オスカー様みたいに、とちらりとみやってつけたす。
ゆるくみひらかれる双眸に、に、と笑ってみせた。
「……誰だって背中はみせたくないものだと思うぜ。」
剣士ならあたり前のことだろう、と云いわけのようにつぶやく炎の守護聖へ、さらに、にっと笑って、つづける。
「だから、欲深い人間ほど恋しい人間の背中を裸にしたいという誘惑に、よりつよく駆られるんだそうです。」
俺みたいに、とその背に手を伸ばしながら、さらりとつけたす。
「今度俺の前で、俺より先に服を着たら、誘惑されてるんだと思いますよ?」
貴方だけに欲も望みもあると思ったら大間違いなんですから、と完全に虚をつかれて声も出ない貴方のくちびるにくちびるを重ね、廻した背中の天使の痕に、憶えていられるように、がり、と爪を立て、さらに痕を刻んだ。
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